愛はいつもそこにあった

「月が綺麗ですね」よりも「私死んでもいいわ」の方が、感覚的にはしっくり来る。

・・・けれども、燃え上がるような「愛」はもう要らない。

「愛」なんていまだによくわからないけれど、何となくイメージとしてあったのは、雷に撃たれたように出会って互いに求め合ってうわあああああああ! みたいな感じのことだった。

あなたが死んだら私も死ぬ、あなたを殺して私も死ぬ、みたいな、そういうどろりとした、切り離しても切り離しても根っこが残って絡みついてくるような、そんな感じが「愛」なのかなと思っていた時期もあった。

そんなだったら、これから先、一生「愛」なんてものにはめぐり会わないんじゃないかとさえ思っていた。

私のそばに愛なんてない。そんな風に思いながら生きてきて、今振り返ってみて思うのは、「愛はいつもそこにあった」ということだった。

見守られ、わがままを言ってはすねて、甘えて、そうさせてもらえることが愛だった。

見るたびに愛おしさで胸がきゅんとして、涙が出そうになるのも愛だった。

自分をわかってくれないことに腹を立てて、泣きながらそれを訴えることができたことも愛だった。

愛にはいろんなかたちがあって、憎しみに変わってしまう愛もあれば、愛として結晶化していく愛だってある。

「愛」という名の型にはまって、これは愛ではない、あれも愛ではないと、愛を遠ざけてきたのは他でもない自分自身だった。

今はパネルヒーターのように、ほんのり、ぬくぬくとした心持ちがいつまでもいつまでも続いていくような、そんな感じの、想いがいい。

パッと咲いて、パッと散る美しさもわかる。

けれども、今の私にそれは要らないな。

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