「命の終わり」をリアルに感じ取れたとき

10年ほど前は、死ぬのが怖かった。

とある手術を受ける前に、これが原因で死ぬことになったらどうしよう、と、手術までの間ずっと悩んでいたことを思い出す。

まだこんな年で死ぬ訳にはいかない、やっていないことはたくさんあるし、これで人生終わってたまるかと思っていたような気がする。

それから10年と少し経って、また、手術するかもしれないんだなということになった今、感じるのは「ああ、死ぬのかもな」と言うことくらいで、以前ほど死への恐怖や、嫌悪感や、そうしたものが薄れている自分に気づく。

もちろん、積極的に「死んでもいい」と思う訳ではないけれど、もう散々好き勝手した結果、持ち時間がそろそろ終わりですよ、ということならば、それはそれでそういうものか、という風にしか思わない、思えない。

ほんの少し、もう少し先を見届けたかったなと思うことはいくつかあるけれど、自分自身の身の振り方や、そんなようなことについては、まあ、これで十分だったんじゃないのかなとか、そんな風にも思う。

それは多分、もう、守るべきものが何一つないからだと思う。これのために生きないと、この人のために生きないと、という存在が何もないからだと思う。

ある意味気楽でほっとするけど、見ようによってはさみしい話だ。

人の命って、不思議なものだとしみじみ思う。

「余命何ヶ月」なんて言われた人がいつまでも元気に生きているかと思えば、先週「また来月な」と言葉を交わして別れたゴルフ仲間が、もうこの世にいなかったりする。

同級生のあいつが死んだ、部下のあいつが死んだ・・・そうした知らせに触れて「ああ、人って死ぬんだな」と思っていても、どういう訳か、自分だけはいつまで経っても、今と同じ生活を毎日繰り返しているような感覚で生きている。

けど、そんな訳がない。
人は皆、死に向かって生きている。緩やかに、死に近づいている。

それをリアルに感じることができてからが、本当に「生きる」ことの始まりなのかもしれない。

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